2025年度9月例会
2025年度9月例会連絡書
下記のように9月例会を行いますのでお集まり下さい。
会長 小澤 純
記
日時 | 2025年9月27日(土)18:30〜20:30 |
場所 | 東京芸術劇場 ミーティングルーム5(池袋西口) |
発表 | 1.鈴木千帆「嵩められた唱歌 ~日本歌曲「藝術」昇華への軌跡~」 2.小村朋子「瀧廉太郎の作品〜《荒城の月》の源泉を探る〜」 3.藤岡由記「平尾貴四男の楽譜に関する諸問題」 4.二宮 洋「既成演奏から学ぶ〜モーツァルとK.304の内田光子の演奏を取り上げて〜」 |
会費 | 会員:無料/非会員(一般):2,000円/非会員(学生):1,000円 |
「概要」
1. 本発表は日本における唱歌編纂の歴史を辿り、それが「日本歌曲」として独立する過程を考察するものである。「唱歌」という言葉は、明治政府が近代的な学校制度を作った時に音楽教科につけた名称であり、英語の Singing の訳語として日本に古来からあった雅楽用語「唱歌」から取ったものであるとされる。
明治5年 に出された「学制」の中で、「唱歌」は「楽器に合わせて歌曲を正しく歌い、徳性の涵養・情操の陶冶を目的」としていた。雅楽寮、音楽取調掛、東京音楽学校などが中心となって編纂した「唱歌」は今もなお歌われており、一部は教科書に残されている。それが、声楽家などによっていつしか複数の曲が「日本歌曲」として昇華したことに着目し、小学唱歌集(1881-1884)、尋常小学唱歌(1911-1914)などの重要な唱歌集の内容にも触れながら、現行『日本歌曲集』に収められている曲集との相違を決定づけるものは何か考察する。
2. 瀧廉太郎に焦点を当て、《荒城の月》メロディの源泉などを手繰る。
瀧は1900(明治33)年、東京音楽学校が中等学校用の唱歌集を作成するにあたり《荒城の月》(他二曲)を応募し入選した。しかし、その内容は「唱歌」の枠を超え、芸術性や創作性を重視した自由な形式で表現されており、今日では「日本歌曲」を代表する一曲である。
この曲は瀧がドイツ留学前に作曲したものだが、彼が日本国内でどのような作品に影響を受け、その結果、「唱歌」を「日本歌曲」の嵩みにまで作品を向上させることが出来たのかに注目し考察する。
(1.2.いずれの発表には考察の一端として、小村(ソプラノ)・鈴木(ピアノ)の実演も含む)。
3.平尾貴四男(1907-1953)の音楽は、2023年に著作権の保護期間が終了しました。これから平尾作品がより広く研究、演奏されることを期待し、現段階でわかっている楽譜の問題について、今回は主に《ピアノ・ソナタ》(1948)について報告します。
これまで演奏されてきた音楽之友社には、初版と第2版があり、両者には小さな相違があります。そして近年「1951年改訂版」として出版されたミューズ・プレス社版には、前者2つと大きく異なる部分があります。これら3つの版の比較と、それぞれの版の背景や問題について、平尾の遺族の証言と共に報告したいと思います。
4.以下のいくつかの特徴によって、我々が今日において演奏表現するための参考となる一つの考え方と姿勢が示されていると思う。まず全曲を聴取し、そこから論じたい。
①「ヴァイオリン伴奏付きクラヴィア・ソナタ」ということへの視野が示されている。
②伴奏者にデュエットとして、スタインバーグという室内楽奏者を起用していること。
③唯一の短調作品という特質ある意図を、独自な積極性にて表現していること。
④テンポ、ディナミーク、アゴーギク等の面で意図が明確に表現されていること。
⑤楽句の切り替え、フレージングの入りと抜け、収め方などに明確な表現を見出すこと。
これらは古楽への視野、テンポと弱奏と休符に込めた精神、切り替えの対比をより明確にすることで感傷に陥らない客観性、独自な理解を明確に表現していこうとする妥協無き姿勢が、演奏から読み取れる。それらは、我々が一つの規範として考えさせられ、学ぶべきことが多い。